当院の歴史history

当院の歴史history

当院の始まり 祖父と父の話

当院は昭和7年に初代院長 久保田 環が長崎市、出島に久保田産婦人科病院を開院したのが始まりです。長崎大学を卒業し長崎で開業した祖父はその地をとても愛し、周囲の方々に慕われ医業を営んでいたようです。
しかし第二次世界大戦が激しくなり、家族と身近な人たちを連れ生まれ故郷の佐賀県富士町へ疎開しました。そしてその直後長崎に原爆が投下されました。祖父のこの判断がなければ私達の今はありませんでした。
祖父はその後も長崎の人々へ薬を届けるために、当時中学生であった私の父を連れ富士町から長崎まで馬で出向していたそうです。
富士町の家には今でも馬小屋が残っており、そこには今、父の車が停まっています。私達のロゴマークが馬の親子であるのもこのエピソードが礎となっています。
昭和23年に久保田病院は現在の大石町に移りその後を継いだ2代目院長 父 順一が昭和40年に旧病院を建て、はや57年間が経ちました。2021年現在、父は89歳ですが元気に新病院の竣工式にも参列しました。
こうして祖父から父へ、そして私たち世代へと引き継がれ新たに久保田レディースクリニックが生まれました。

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